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渡島の分類: 産業・経済 > 農業全般

最終更新日:2017年2月16日(木)

渡島のあらまし

歴史

 渡島地方は北海道が蝦夷地と称されていた頃から和人との間に交易が行われていましたが、文治5年(1189)年奥州藤原氏の残党が津軽海峡をこの地方に逃れてきたのが、和人移住の始めといわれています。
 当時、津軽海峡を渡ってくる人を、ワタリトウとか、ワタリシマ(渡島)、コシノワタリシマ(越渡島)と呼んでいたところから、オシマ渡島の名が始まったといわれています。
 記録上「農」という字が現れてくるのは文明年間(1469~1486ですが、実際に農業をおこなったかどうかは不明です。「開拓使事業報告」によると、「文禄(1562畑地開墾を以て北海道の嚆矢とす、すなはち亀田郡亀田村是なり」とあり、亀田村では穀を作ったというのと野菜を播種すという同様の記録もあり、その細部については不明ですが、いずれにしても北海道農業の起源といえます。
 北海道畑作の起源としては、天正16年(1588近江国の建部七郎右衛門が野菜種子の行商人となって松前に渡ったといわれており、自家用野菜程度が栽培されていたようです。
 稲作については、もともと蝦夷地では米は生産できないとされており、松前藩においても一般の大名のような石高は与えられておらず、河川の漁業権や漁による交易による利益を俸禄に替えたものでした。米は東北その他の地方からの移入に頼りきっていたため、藩としても自給について望んでいましたが、栽培技術や水利の面から安易に取り組めなかったようです。
 本道稲作の起源は、現在の北斗市文月に「北海道水田発祥の地」の記念碑が建てられており元禄5年(1692)と刻まれていますが、これより以前の寛文年間に大野文月で藩主の命により試作したという記録や貞亨2年(1685)文月村押上の高田吉右衛門が米作を試みたという記録もあります。
 馬鈴しょは、寛政10年(1798)最上徳内が蝦夷地出張の際、虻田付近に耕作させたのが始まりとされていますが、これから約100年後の明治39年(1906)に川田龍吉男爵が七飯町に9haの農場を購入し、翌年イングランドから馬鈴しょの種子を購入した中のアイリッシュ・カブラーがしだいに広まっていきました。それがいつしか『男爵いも』と呼ばれるようになりました。川田男爵は、イギリスで造船技術を学んだ後、函館船渠(現函館どつく(株の再建のために来道しましたが、馬鈴しょ以外でも、アメリカ製蒸気自動車を購入した日本人としては最初のオーナードライバーとしても有名です。
 このほか、安政5年(1858)に箱館奉行所が南部藩から牛50頭を購入し七飯町軍川付近で飼育させた「牛牧場の起源」や明治年にバターを七飯試験場で試作し粉乳製造を始めた「バター・粉乳製造の起源」などがあります。


参考データ等

渡島農業の沿革史(pdf)


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