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日本一のかぼちゃを目指す

甘いカボチャ

レトルトにされたカボチャスープなど北海道茅部郡森町の「株式会社みよい」を取材した。駒ケ岳がよく見える森町は、函館から車で1時間の距離。この一帯は火山灰土壌なので水はけもよく、海抜300mの高さがあり昼夜の温度差があるため美味しい作物を作るのに適した環境といえる。

みよい農園では、「くりりん」という、糖度の高いカボチャを有機栽培している。有機栽培者として日本農林規格登録認定機関から「有機JAS」認定を受けている。無農薬で作られたカボチャは安全なだけではなく、「高温キュアリング室」で5日間熟成させることによって、糖度が上がりとても甘い。

みよい農園のカボチャは、砂糖を入れずに煮てもとても甘くて美味しいと評判で、全国の生協などで販売されている。このカボチャはどのようにして生産されているのだろうか?

農業はじめの一歩

自由研究でみよい農園が取り上げられたことも(株)みよいの明井清治氏はいつから農業を始められたのか?歴史は30数年前にさかのぼる。明井家はもともとカボチャ栽培農家だったが、清治氏は9人兄弟の末っ子で、自分が農家を継ぐとは思っていなかったそうだ。

それが20歳の誕生日に突然転機が訪れた。誕生日の朝、両親に呼ばれてテーブルにつくと、そこには通帳と印鑑と土地の権利証があった。父から「畑を全部お前にやるから、売るもどうするも好きにしてくれ。農業をやるなら、俺たちも手伝う!」と衝撃の告白を受けた。

兄たちは就職して家を離れてしまっていた為、両親は、末っ子の明井氏にすべてを託したのだ。農家を継ぐ気がなかったので、農業の勉強はしてこなかった明井氏は迷った。だが、すべてを自分に託した両親の覚悟を受けとめて、農業を継ぐ決意をした。

「どうせやるなら、うちのカボチャをヒットさせたい!日本一を目指そう!」当時、森町はカボチャの生産量で日本一を目指していたので、町内で一番美味しいカボチャを作れば「日本一」になれると意欲に燃え、それまで全く勉強しなかった農業を20歳から独学で始めた。

有機栽培

20歳にして広大な畑を所有し、思いがけず農業を始めた明井氏は「日本一を目指すなら、安全で安心なカボチャじゃないといけない、無農薬で作ろう!」と、最初から有機栽培を志した。農作物は病気に弱く、非常に多くの虫がつく。人間が食べて美味しいのだから、当然、虫もつくのだ。化学肥料・化学農薬を一切使わないで栽培すると、どうしても病気や虫に負けてしまう。

被害が出てから対応する、後手に回る日々が続いた。何か被害が出てから対応していたんじゃ、間に合わない。病気や虫に負けないカボチャを育てるにはどうしたらいいのか?「栄養をたくさん与えて、元気で強いカボチャを育てたらいいんだ!」氏は堆肥を研究し、畑を今まで以上に深く掘り起こし、また土のなかの微生物も研究して土壌作りを徹底的にやり直した。

「作物は人間がじゃなく、土が育てるものだ。」そう信じて土作りに励んだ。森町の小学生がみよい農園を取材して作った「明井さん家の畑新聞」を見ると有機栽培の苦労がよくうかがえる。小学生の書いた「足が痛くてもせっせと働かなくてはいけません」という文章に明井氏の努力がよく表れている。無農薬で栽培するということは、簡単な事ではないのだ。

それでも「安全・美味しさ」にこだわり、「日本一のカボチャ」を作るために努力は続いた。

生命の源は海

みよい農園入り口の看板

健康なカボチャを育てるにはどうしたらいいのか?生命力を強くするにはどうしたらいいのか?悩みは続いた。

ある日、テレビで「生命誕生」に関する科学番組を観た。そこで「生命の源は海だった」というメッセージにヒントを得て、陸のものもすべては海から始まったのだから、カボチャにも海のものを与えたら強くなるんじゃないか?と考えた。

森町は噴火湾に面していて、ホタテ漁が盛んだ。廃棄されているホタテの貝殻には、石灰藻やフジツボ、コケムシ等たくさんの生物が付着している。

海の中の世界が凝縮されたような貝殻の付着物を観て、明井氏は「これだ!」とひらめいた。貝殻を水で洗い塩分を抜き、堆肥として利用した。さらに、脱塩した熊石の海洋深層水も利用した。その年から畑が激変した。明井氏の狙い通り、カボチャは逞しく育ち、たわわに実った。

自信を持って広げた販路

カボチャは美味しく育った。だがどの生産者にも言えることだが、美味しいものを作っただけで成功とはいえないのだ。たくさんの人に食べて貰わなくてはいけない。農協に頼らない農家は、販路も自分で拡大していかなくてはいけない。

明井氏は大胆な作戦に出た。東京都内のあらゆるデパート、大手スーパーに自分が作ったカボチャを予告無しに送りつけたのだ。もちろん販路開拓を狙っていたが、それ以上に「ここまで美味しく作れたカボチャを、味わってもらいたい!」という気持ちが強かった。一週間後、明井氏は東京へ行き、カボチャを送ったスーパーを一軒一軒回った。

どの店も、みよい農園のカボチャを「美味しい!」と評価し、明井氏の大胆さに驚いた。「直接送ってくる、あんたの自信には参った!」と言い、仕入れを決定したスーパーもあった。作物を農協に卸さない明井氏は、自分で販路を拡大していったのだ。そこには「美味しく作れた!」という自信と絶えない努力があった。こうしてみよい農園のカボチャは東京の有名デパートや大手スーパーで、販売されるようになっていった。

もったいない!

現在、パートさんを20名入れてカボチャを生産しているので、相当な量のカボチャを生産することが出来る。だが農作物は均等に育てても、すべて同じようには育たない。どうしても規格外のカボチャが出来てしまう。

規格外のカボチャは「オリジン弁当」に卸しているが、それだけでは受け皿が足りない。パートさんと丹精込めて作ったカボチャだ、形が小さいからと言って廃棄してしまうのは、もったいない。

そこで明井氏は、カボチャのスープを自社生産することにした。函館市には「工業技術センター」という施設があり、ここで賞味期限を測定した。みよい農園のカボチャはポタージュスープとなり、チルド冷凍のレトルトパウチと、完全に冷凍された商品の2種類が作られている。

カボチャスープは、函館市で地産地消をモットーとした居酒屋「魚まさ」でも人気メニューとして活躍している。

これからの明井氏

みよい農園で採れたカボチャ生協のバイヤーは、明井氏のカボチャを食べて「こんな美味しいものをなんでもっと早く紹介しなかったんだ!」と部下を叱責したという。部下は「値段が問題になると思いました。」と答えたが、バイヤーの「本当に美味しいものなのだから、値段は後からついてくる!」との一喝で仕入れが決定した。

今、みよい農園のカボチャは「日本一のカボチャ」として、そのブランドを確立しつつある。自分のカボチャを、ブランド商品にまで高めた明井氏のバイタリティは、畑で発揮されるだけにとどまらない。

同じ生産者がみよい農園を訪れれば気さくにカボチャ作りを教え、また「渡島・檜山合同有機農業現地研修会」では講師を務めた。氏は有機栽培第一人者として、地域にも認められる生産者なのだ。一般社団法人「北海道中小企業家同友会函館支部」にも農業生産者として参加して、異業種とも積極的に交流している。同友会函館支部では、2009年10月に東京の「グランドプリンスホテル・新高輪」でフードフェスタを開き、北海道南部で生産されるさまざまな食品を東京で紹介した。会場には900人が詰めかけ、道産の食材を使ったコース料理に舌鼓を打った。コースにはみよい農園の「カボチャのスープ」もふくまれ、大変な好評を得た。安全かつ「美味しい!」と喜ばれるカボチャは、同友会での交流も新たな足場となり、さらに活躍の場を広げている。

居酒屋「魚まさ」や「cafeChocolat」を始め多くの飲食店へも広がっている。ただ一心に「日本一」を目指した努力は、文字通り実を結び、調理されて次なる美味しさとなって消費者へ届く。美味しいカボチャは、飲食店の美味しいメニューとなり、地域を活性化させているのだ。海と大地の恵みがたっぷりつまったカボチャが、これからも地域をひっぱって行くことを期待する。


株式会社みよい

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