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ホーム > 地域創生部 > 地域政策課 >  北海道150年事業 道南れきぶんカード No.8 木古内町


最終更新日:2019年3月08日(金)

道南れきぶんカード No.8 木古内町 咸臨丸

木古内表  木古内裏


咸臨丸の眠る地サラキ岬

咸臨丸モニュメント

チューリップ畑と咸臨丸

住所:木古内町字亀川サラキ岬

1 「咸臨丸」の由来

 「咸臨」とは「易経」より取られた言葉で、君臣が互いに親しみ合うことを意味している。

2 「木古内」の由来

 アイヌ語の「リロナイ」(潮の差し入る川)が由来と言われている。

3 歴史

 咸臨丸は、1857年に江戸幕府がオランダに発注して建造された軍艦であり、幕府海軍創生期の主力艦として配備された。
 1860年、日米修好通商条約の批准のため、木村摂津守喜(きむらせっつのかみよしたけ)、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、浦賀(神奈川県)からサンフランシスコへ渡米する要人の随件艦として太平洋を横断した偉業を成し遂げた。幕府の船として初めて太平洋を往復したと言われている。このほかでも小笠原諸島への調査団派遣などで幕末の動乱期に日本近代化の歴史的象徴として活躍した。
 しかし1868年、明治時代に入ると咸臨丸は新政府の襲撃を受け捕獲され、新政府の所管となった。その後、北海道開拓民の輸送船として使用されるようになった。
 1871年9月、咸臨丸は仙台藩片倉小十郎(かたくらこじゅうろう)家臣団401名を乗せて仙台から函館を経由して小樽に向かう途中、木古内町のサラキ岬の沖合で暴風雨に遭遇した。乗船者は現地(泉沢)の人々の懸命な救助により、全員救助されたが、咸臨丸は数日後に沈没した。サラキ岬沖合の海底には、今も咸臨丸が眠っていると言われている。
 現在、サラキ岬は、咸臨丸モニュメントなどが設置されたほか、咸臨丸のふるさとオランダをイメージしたチューリップ花壇などが整備され、町の観光スポットにもなっている。また、咸臨丸まつりの開催など、木古内町に大きな夢やロマンを残している。

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